『女子たちの手によって作られている』ということに大きな意味があると思っています。
以前、X-rated searchさんに寄稿せていただいた『拘りの鉄』にも書いたのですけど、
作品って結局、作者自身の姿を反映させたものだと思うんですよね。
作中の女の子のハダカを守るというのは、当然自分自身をも守っているわけだと思うのです。
その女の子のズルさが作者のズルさ。
登場人物の女の子が男の子のちんぽを見たくてちょっぴりズルい提案をする。
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「ね、女の子のパンツ見たくない?
…私も男の子のおちんちん、見てみたいんだ。
もし、君がパンツを脱いで見せてくれたら…私もパンツ見せてあげるんだけどな…」
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普通だったら男の子はこんな取引に応じないかもしれない。
でも応じちゃって、さらには結局パンツさえ見せてもらえなかったりする。
…こんな女の子びいきな作品を考えるのは作者が『相当なマゾ男性』なのか、『女子』なのか。
ひょっとしたらどちらの場合も同じようなものを描くかもしれません。
けれど、私がいつも感じていたのは女子目線で見ると『男の子の表情や感情が表現されていなくて残念』ということでした。
別にいいんですよ、男性向けAVとかで女子目線気にしなくたって。
でも私は不満です。
だから私は自分の表現したいCFNM作品を作ろうと思いました。
男の人が『女の子がちんぽを見たり触ったりしているときの表情が見たい』っていうのなら、女子だって『男の子がちんぽ触られたり気持ち良くなってる顔が見たい』って思うのは当然のはず!
…とはいっても、
そのどちらかではエロさもいまいち。
なぜでしょう?
それは『対比』にありました。
CFNMでは“ただ男の人がハダカでいる”とか“ただ女の子がチンポを凝視している”だけでは『完全』ではないのです。
・普通だったらハダカでいなくてはいない場所(お風呂など)で『男性はハダカになり、女の子は服を脱がない』。
・普通は服を着ている場所で、『男性はハダカにされ、女の子は普通に服を着ている』。
この状況対比に女の子のズルいセリフのやり取りが加わって、理不尽なエロさが生まれ完全な『CFNM』作品が生まれます。
(…とはいってもこれがなかなか言葉で言うように簡単にできることではないんですが(^^;)
で。
ちょっと話がそれましたが、本題に戻ります。
実は作者が女だと、ズルいことに前記した『完全なCFNM』でなくてもCFNMになってしまうんです。
理由は『作者自身が女だから』。
わーズルい★
作者である女子が、男子のちんぽを見たいとか触りたいとかいう願望をもとに
…しかも自分のハダカは守られる「作品」という形でその願望をかなえているとしたら…。
極端な話、男の子だけがハダカんぼになって女の子に犯されてる…しかも女の子はチラッとしか入ってないイラストでも、『描いているのが女子』だったらOK!
なんてことに。
…まぁ、そんな誰も喜ばないもの公開してオナニってるくらいだったら私は一人でちんぽスコスコしてる方がましだと思いますけどネ!
そんなわけで、ひひるは『M男子に喜ばれ、女子が見てもエロくて楽しい』ものを作り続けたい。
と思っています。
今までも、これからも。
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